こんにちは。オンラインで学べる、大人のためのスマホ&パソコン教室 (www.pasocom.net)代表で、スマホ活用アドバイザーの増田由紀(@yukinojo7)です。 和風なものと嵐が大好きです。シニア世代の方々のスマホレッスンをやったり、スマートフォンやLINEの入門書を書いたり(Amazon著者ページはこちら)、仕事で使いたいのにSNS活用が苦手な方のためのお手伝いをしたりしています。 このブログでは、日々感じるスマホの活用法や私なりの工夫、IT技術の話などをメインに、なるべくわかりやすくお伝えしようと思っています。
京都3日目、鴨川の朝のお散歩から帰ったら、次は「河井寛次郎記念館」です。
▼河井寛次郎記念館
河井寛次郎さんとはこんな方
明治23(1890)年8月24日島根県安来に生まれる。
松江中学校卒業ののち、東京高等工業学校窯業科に入学。
大正3(1914)年、京都陶磁器試験所に入所。
大正9(1920)年、現在の記念館の地、五条坂に住居と窯を持ち独立、つねと結婚。大正13年には娘・須也子をもうける。
大正10(1921)年、「第一回創作陶磁展」を開催、以降生涯にわたり、作品を発表。 作風は大きく、三期に分けられる。中国古陶磁を範とした初期、「用の美」の中期、「造形」の後期。
昭和12(1937)年に、自らの設計により自宅を建築(現在の記念館)。
文化勲章も、人間国宝の認定も辞退。
昭和41(1966)年11月18日、76歳で亡くなる。
1926年、柳宗悦、濱田庄司とともに日本民芸美術館設立趣意書を発表。古い日用品を発掘しその制作のための技術を復活させ、無名職人による日用の美を世に広め、新しい日用品を制作し普及しようとした「民藝運動」に深く関わるようになる。
壁にかかったお写真が河井寛次郎さんです。この河井寛次郎記念館をご案内していただいたのが、京都の植松先生。
かつて河井寛次郎さんが住んでいた建物は、お住まいだった当時そのままに残されています。
ふすまを開けて誰かが入ってきそうな、そんな雰囲気の和室です。
私たちが座っている椅子は、木の臼にキャスターを付けてたもの。河井寛次郎さんのアイデアだそうです。
そしてこの写真を撮ってくれたのが、河井寛次郎記念館の学芸員である鷲珠江さん。河井寛次郎さんのお孫さんです。私を案内してくださった植松先生は、鷺珠江さんのいとこさん。
鷺さんの説明を受けながら、館内を回ります。ご自身もこの家で暮らしたご経験があるので、ここで〇〇をして、これはこうで・・・なんてお話がとっても面白く、河井寛次郎さんに一気に親近感が湧きました。
余談ですが、なんと民藝つながりで、私の従姉妹のご主人と鷺さんがLINE友だちだったことを知り、びっくりしました。と同時に人間どこでご縁がつながっているかわからないものだなって思いました。
2階から1階を眺める。中央は吹き抜けになっていて、のぞき込むと階下が見渡せます。
天井から滑車が下がっていて、太いな輪がかけられたままです。これは建築時、二階へ木材や家具などを上げる時に使われたもので、そのまま残してあるそうです。
こちらは、河井寛次郎のお嬢さん須也子さんの結婚祝いに、柳宗悦から贈られた掛け軸。
「楽在其中」。孔子の論語で、楽しみは日々の中にあるというような意味。
そして通りに面した「河井寛次郎記念館」の木の看板は、棟方志功の書だそうです。
こちらは2階の和室。昭和を舞台にした映画のワンシーンに出てきそうな、落ち着いたたたずまいです。京都迎賓館もそうでしたが、カーテンではなく障子の薄明かりは日本家屋によく合いますね。落ち着く空間です。
大きな丸いテーブルも、木の臼を逆さまに使ったもの。人々の暮らしの中にある道具が、姿を変えて使われていて、そこかしこに「手のぬくもり」というものを感じます。木造家屋というのは、そういうぬくもりが感じられて自然と心もほぐれます。こういう空間に身を置くことで安らぎを得られますね。
こちら、河井寛次郎記念館の看板猫えきちゃん。
住宅街の一角に、こんな登り窯があるなんて思いもしませんでした。
昔はそう珍しい光景でもなかったそうで、ここを複数名の陶芸家で使っていたそうです。登り窯というのは山の中にあるものだと思っていましたが、この辺りは陶芸家もたくさん住んでいたそうで、住宅地にあるこの登り窯は規制により昭和46年に使用が禁止されるまでは、現役で使われていたそうです。
河井寛次郎さんの残した言葉に、「暮しが仕事 仕事が暮し」というのがあります。
仕事も暮らしも、別々に切りはなさうに、仕事をしながら多くの来客を受け、中庭で洗濯物が多々めく中で絵付けをし、自分の必要な道具を気に入ったように作ったりする。
住居と仕事場、登り窯が同じ敷地にあるので、どこで過ごしても「暮らしが仕事、仕事が暮らし」となったのでしょう。工房に出勤して作品を作る、というのではなく、暮らしているその場所で生まれてくる作品たち。
だからこそ、美術館に飾られたちょっとすました作品ではなく、人の手で使われることを前提の作品になったのだろうな、と思います。
この丸い石も、時々転がして場所を変えておられたそうです。
最後は「ここだ」という場所を見つけ、今この場所に。
さりげなく草花が飾られた囲炉裏端で、ふとここで暮らしていた人たちの往来を想像していました。
この階段を上り下りして暮らしていた鷺さんのご説明と共に、とても興味深い時間を過ごすことができました。
看板猫えきちゃんはとっても人懐っこかったです。
帰りに、お香が買いたいという話をしたら「香木山田松」というお店を教えてもらいました。
江戸時代から続くお香のお店。
▼山田松
塗るお香が欲しかったので、こちらを買いました。ビャクダンの香り。
クリーム状になっていて、手首などに着けると体温で暖まり、香りを変化させながら長い時間楽しむことができます。
縦動画や写真をまとめた短い動画です