先日、写真整理に関する話をある人とする機会がありました。
写真ってどうやって整理してますか。
どれくらい写真があるか把握してますか?
どんなふうに使っていますか。
そんな質問をされました。
そういえば、今までどれくらい写真を撮ってきたんだろう。
今までどんな撮り方をしてきたのかな。
そんなことをふと考えてみました。
枚数制限のある時代
私は写真を撮ったりするのが好きな方。
母は撮った写真を見るのが好き。
そしてわが実家は、小さいころからずっと、来客が多い家でした。
お客さんが来るたびに、親戚が来るたびに、スナップ写真を撮っていた記憶があります。
だから「我が家(実家)にいらしたお客さん」の写真だけでアルバムがあるくらいです。
そのアルバムをめくるたびに、これだれ? この人誰?と話題がはずみます。
修学旅行の時、「写ルンです」を買って「残りあと〇枚だよ~」とカウントしながら写真を撮ったことも懐かしい思い出です。
現像に出して、戻ってくるまで写真の出来はわからない。
長方形のFUJIカラーと書いてある袋を開けるのが楽しみだった。
24枚撮り、36枚撮りなんて決まりがありましたから、旅行に行っても「ここで何枚。」
あそことあそこに行くから、あと何枚とっておかなくちゃいけない。
修学旅行では「ここは私が撮るから、〇ちゃんはあそこで撮るために残しておいて」
作戦も必要でした。枚数が決まっているからこそ、変なものや無駄なものは撮らないよね。
その制約の中で楽しんでいました。計画的に写真撮ってましたよね。
そして1枚1枚を大事に撮っていました。
デジタルカメラとの出会い
結婚の時、お仲人さんから何か欲しいものを差し上げましょうと言われて
一眼レフカメラをお願いしました。
お仲人さん、カメラに詳しい方でした。
フィルムタイプの一眼レフのシャッター音が耳に心地よく、なんだか写真がうまくなった気がします。
フィルムをたくさん買ってストックしていたことを思い出します。
紙の時代を経て、デジタルカメラを持つようになり、撮ってすぐに見られるのは本当にびっくりでした。
今と比較すれば、出たてのデジタルカメラは小さな画面ですが、そこに撮った写真がすぐ表示される。
現像に出さなくてよい! 今撮って、今見られるなんて!!
驚きでした。
パソコン教室を初めて間もなくの頃ですから、クラスの写真を撮らせていただき、生徒さんにもすぐお見せしました。
皆さんも、すごくびっくりしていました。
夜、寝ながら画面を拡大して、生徒さんのフルネームを一生懸命覚えたことを懐かしく思い出します。
それに何枚でも撮れるのです。もう枚数制限はありません。
だから気軽に撮影できるようになりました。
あと何枚、を気にしなくてよい。
好きなだけ撮れる。
撮った写真を確認して、好きじゃなかったらすぐに消せる。
あの小さなカード、金色の部分があるあのカードに、何枚でも入るのです。
不思議でした。
デジタルカメラ全盛時代になって、枚数を気にしなくてよくなって、ずいぶんたくさん写真を撮りました。
「特別なイベント」だけでなく、日常的な風景を気軽に撮れるようになりました。
これ後で使えるかも、という考えで何でも撮れるようになりました。
デジタルカメラを買い換えるたびにどんどん性能もよくなります。
そしてそれをCDに焼いたり、DVDにしたりして、写真も増えていく。
デジタルカメラの中に入れたカード、XDピクチャーカードやSDカードは、リセットすればまたゼロから記録できるのです。
フィルムと違ってカードは使いまわせるのです。
パソコンと切っても切れないデジカメ写真
その代わり、XDピクチャーカードもSDカードも、CDもDVDも「機械に入れないと」確認できないものになった。
手に取ってみても中身がわからないのです。
昔のように袋から出せばすぐみられるものではなくなった。
見ようと思ったら、機械の電源を入れなくてはいけません。
たくさんの写真に向き合うには、パソコンの前に座る必要があります。
少し時間もかかります。
デジタルカメラはコンパクトでしたが、だからといって、いつでもカバンに入っているわけではない。
いつでも持ち歩いているわけではないしね。
誰かに写真をあげたい時も、一度パソコンに取り込んでからの作業になります。
だからデジカメ写真とパソコンは、切っても切れない関係でした。
そうこうするうちにデジタル一眼レフを手にし、すごい写真が簡単に撮れるようになってきました。
でも重たい。かさばる。これが趣味になったらまた違ったのかもしれません。
でも私にとっては毎日カバンに入れるものではない。
たくさんのきれいな写真が撮れるのには本当にびっくり。
でも私にとっては「特別な日」「ここイチバン」を撮影するものになりました。
スマホの登場でいつも身近に
そしてスマートフォンの登場です。
携帯電話として買ったスマートフォンですが、いつの間にか電話をしなくなりました。
電話しなくても成り立ってしまうサービスがたくさんあるのです。
スマートフォンってフォン=電話と言いますが、私は「もしもし」をするために使っていないのです。
しかもスマートフォンは、いつでも身近にあります。
毎日カバンに入れるものになりました。
忘れたら困るものに。ちょっとした外出にも必ずポケットに入れるものになりました。
どこに行くにしても、常に自分のそばにある。
私にとって、スマホ写真と今までの写真の違いは、ここにあります。
いつもいっしょ。
いつでもそばにある。
だからスマートフォンは私の暮らしのいろいろな場面に立ち会うことになります。
いつでも撮れる。
何枚でも撮れる。
動画も撮れる。
きれいに撮れる。
また、豊富なアプリの登場で、もっと見栄えのする写真も作れる。
インターネットに繋がっているから、あの人に、この人にとすぐに送れる。
SNSがあるから、すぐにみんなにも見せられる。
残すためではない撮影も
フィルムの時代とも違う。
デジタルカメラの時代とも違う。
スマートフォンの写真は、私の生活のメモ代わりと言ってもいいくらい。
撮って、編集して、出すまでが、スマホ1台でできる。
これ1台ですんでしまうって、本当に身軽です。
「書く代わり」に撮る
「覚える代わり」に撮る
「確認するために」撮る
「拡大して見たい」から撮る
私の場合、本を書いたり教材を作ったりもしますから
「画面ショット」を撮る
も含まれます。
撮って残すためでない撮影もたくさんしています。
スマホ時代から変わった写真との付き合い
思えば、スマホ時代になってからの写真は、それ以前とは楽しみ方も役割も違うな、という気がします。
家族の成長記録はもちろん、旅行の楽しい写真だって、今までたくさん撮ってきました。
ちょっとした旅行に行くのに、もうデジタルカメラもデジタルビデオも持って行かないケースも増えました。
iPhoneだけがお供ということも度々です。
スマホ時代になってからは、旅行やイベント、特別な日を撮るだけでなく、「撮らない日はない」というくらいしょっちゅう、シャッターを押しています。
「いつでもそばにある」そして「何枚でも撮れる」というスマホ写真は、写真との向き合い方を変えたといってもよいでしょう。
スマホ写真は生活の記録、みたいな側面もあります。
仕事上の記録、という感覚で動画も撮っています。
趣味で撮った写真を加工してSNSに載せる、という楽しみもあります。
いずれも、スマホがなかったらやっていなかったこと。
そう考えてみると、スマホ、特にiPhoneがあることで写真との付き合い方もずいぶん変わりました。
ブログを書く時だって、「どんな写真があったっけ」とクラウドに上がった写真を見ますし、
「この日は何をしていたっけ」という時も、まずスマホの写真を時系列で見たりします。
それだけ写真を頻繁に撮っているということですね。
記憶をたどるために撮る、という使い方もしょっちゅうです。
撮らない日はないというくらい、iPhoneは今や私の生活に欠かせない道具になりました。
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